シンガポールで唐雪さんと出会った気がした夏の終わり
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シンガポールのチャンギ国際空港。眠らない空港も夜は静かです。


大学の夏休みにシンガポールの英語学校に通っていた。
ある日の放課後、地球の歩き方で見つけた、日本人墓地公園に行ってみることにした。
学校のあるSommerset駅でMRT(電車)に乗りDhoby Ghaut駅で東北線に乗り換え、Kovan駅で地下鉄を降りた。駅を少し離れるとそこは閑静な住宅街だった 。この国では珍しく一軒家が立ち並び、きれいに整えられた芝生の庭に不釣り合いな仰々しいヒンドゥー教の祠(ほこら)がひっそりと留守番している。犬は無音の中で寝そべったまま、退屈そうにこちらに目を向けた。

そんな住宅街の中に日本人墓地があった。意外なことに全体的には洋風のデザインだったが、墓石は日本風の作りだった。えんじ色のレンガがおしゃれに緑の芝生と混ざり会う英国風庭園の中、英国風二葉亭四迷の記念碑や軍人さんなどお偉いさんの立派な墓石がある。そんな中にひっそりと簡素な木の墓が佇んでいる。

僕がこの墓地公園に来た目的はこれらの木を確認するためだった。これらの墓はかつて唐雪さんと呼ばれた人たちの墓だ。唐雪さんとは明治時代ごろ、日本がまだ貧しかったころ、海外に娼婦として売られた人たちのこと。全国的に身売りはあったが、熊本県島原出身者が多かった。

木の墓石は朽ちはて、名前が判読できない。惨めな墓だが、ここに墓をこしらえてくれたらる人がいれば良いほうで、死後墓を建ててもらえない、歴史に葬り去られた無名の人生も数えきれないほどある。外国で死ぬというのは、周りに自分が生きて死んだことを知る人がおらず、死後も訪れる人がいないという、異国に骨を埋めることの容赦のない冷酷さを知った。


マレー蘭印紀行によると当時唐雪さんたちのなかには苦しい状況から逃げ出そうと、ジャングルに入って虎に食べられた人もいたようだ。恐ろしい悲劇の結末だ。 何のために生まれてきのかわからない、そんな人生。

夏の終わりの風が南洋の高い木をなびく音が響くなか、僕は先祖たちを供養するために敷地内を歩き回った。その時不思議と墓が怖いという感情はなく異国の地で母国の先人たちに守られているような気持ちになった。ひさしぶりに会った田舎のおばあちゃんたちのように歓迎してくれている。和服を着たモノクロの大和撫子がやさしいまなざしで見守ってくれていた。

おしまい