孫文の辛亥革命に協力した日本人の家行った
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宮崎兄弟の生家門

王朝を倒し、アジア初の共和国を建国

孫文は海外の華僑や、日本人などの協力を得て二千年続いた封建社会を崩壊させアジア初の共和国を建てた。

孫文を支援した多くの人物の内の一人、宮崎滔天(みやざき とうてん)とは何者だったのか。

熊本県荒尾市にある彼の生家(せいか)に行ってみた。

なるほど、立派な屋敷である。

荒尾は、JR鹿児島本線の福岡県内から乗った場合の最南端の駅で、福岡県大牟田市の隣。三井グリーンランド(遊園地、わんわん王国)がある街である。

滔天と孫文はどうやって意志疎通していたのか。

どこかに、漢文と英語を交えて話をしていたと書かれていた。そのメモを見ることが今回の最大の目的だった。

下は筆談の記録で、実物のコピーとのこと。まるでオンラインのチャットのように発言が順序良くならんでいる。

筆談の記録

私は以前、香港人の友人と漢字で筆談で少し会話してみたことがあるが、その時は文字を書く場所がかなり乱れ、後日見返してもおそらく発言の順序がわからなかっただろう。しかし、滔天・孫文の筆談を見て、発言の順序が整然と並んでいることに驚いた。

私が見たメモには英語がなかった。ひょっとしたら、日常で必要な会話は単純なものが多く、英語を話していたのかもしれない。複雑な内容になると、漢文に切り替えるという複雑なことをしていたのかもしれない。

ちなみに、この筆談の文体と現代中国語とは異なっており、日本語で言うところの漢文に近い。

例えば、「その通りです。」を「然也」と書かれている。現代中国語で書く時は「是的」など。

他には、「まだです。」を「猶未有」とある。現代中国の話し言葉では「還没有」と表現する。

一方で、日本語の言い方が直接使われている。

例えば、「パスポート」を「旅券」。現代中国語では「護照」。

宮崎滔天が中国革命を支持した理由

滔天は共産主義よりな思想を持っていた。その理想の実現のため、中国大陸を足掛かりにして、日本を含む世界に波及させようと考えていたようである。

革命後、孫文は鉄道等を視察するために来日した際、宮崎滔天の生家を再び訪れている。その後、日本と中国が戦争になるのは皮肉である。

庭の看板

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